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    <title>さらばキオスクのおばさん</title>
    <description>　朝、キオスクに新聞を買いに行くときがある。かつては、この道30年というようなベテランが切り盛りしていたが、現在は昨日、今日キオスクの店員になったと思われる年配の女性がやっている。キオスクのおばさんは商品がどこにあるか体で覚えていて、電光石火の早業で目の...</description>
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　朝、キオスクに新聞を買いに行くときがある。かつては、この道30年というようなベテランが切り盛りしていたが、現在は昨日、今日キオスクの店員になったと思われる年配の女性がやっている。キオスクのおばさんは商品がどこにあるか体で覚えていて、電光石火の早業で目の前に商品が現れ、お金をを払うとほぼ同時におつりが返ってきた。職人的技を身につけたプロがいなくなり、キオスクの店員は素人になったと思ったら、買うほうも素人が増えた。キオスクの前で財布からいちいち小銭を出している人もいる（そうかと思えば、スイカでワンタッチで瞬時に買っていく人もいる）。ここ数十年でいろいろな分野で素人が増え、それらの人が幅をきかせ、あと数十年もすれば玄人はいなくなってしまうのではないだろうか。<br />
　イタリアにはキオスクの文化があり、そのためかコンビニを見たことがない。常連さんの顔と買うものを店員が記憶していて、そのためにその客の釣り銭が用意されていて、お金を払うのと同時に釣り銭が返ってくるのは気持ちがいいものである。イタリアでキオスクの常連になったことはないが、多分そうなのだろう。スーパーもそうだが、かつてはレジ打ちが早いというのが技能だったが、現在はバーコードを読む機械が人間の代わりにやってくれる。<br />
　イタリアにはコンビニがないことが、いいように思う。コンビニエンスという言葉の中に落とし穴があるからだ。人間の生活は半世紀で家事労働から解放され、その分自由になる時間が増えたかというと、そうなってはいない。逆に生活にゆとりがなくなり、つねに何かにおわれ、以前よりも自由になる時間が減ったような気さえする。便利になればなるほど、生活のスピードが加速していくからではないだろうか。イタリアで始まったスローフードの運動は、そのことに警鐘を鳴らしているのだろう。このままいけば家事労働だけでなく、あらゆる労働がロボットに取って代わられ、家事の楽しさ、労働（熟練することの）の楽しさもロボットに奪われてしまうのではないだろうか。玄人集団のロボットが素人集団の人間を白い目で見ているような社会にだけはしたくない。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-15T09:37:40+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
    <dc:rights>鈴木紀慶</dc:rights>
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    <title>カオナシがキター！</title>
    <description>東京モード学園の建物が新宿に出現し、完成間近だが、得体の知れないものが突然現れたというような違和感がある。建物の上部だけを（総武線の車両から）見ていると、宮崎駿映画の「千と千尋の神隠し」に登場するキャラクター、カオナシに見えてくる。楕円形のノッペリとし...</description>
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東京モード学園の建物が新宿に出現し、完成間近だが、得体の知れないものが突然現れたというような違和感がある。建物の上部だけを（総武線の車両から）見ていると、宮崎駿映画の「千と千尋の神隠し」に登場するキャラクター、カオナシに見えてくる。楕円形のノッペリとした形が顔に見え、白いテープで編んだ籠のような衣装を纏っているようだ。名古屋の東京モード学園の建物も意表を衝くデザインで、建物が龍のように捻れながら昇天している。どちらも建築がそのまま広告塔の役目を果たしている。巨大建築という欲望、それは資本の圧倒的な力を見せつけるひとつの方法ではある。宮崎さんが描いた、人間の欲望を飲み込み、それを肥やしにしてますます巨大化していくのがカオナシだが、物悲しさがある顔を持たない妖怪が、新宿の新たな顔になる日がくるのだろうか。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-07-29T13:44:48+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
    <dc:rights>鈴木紀慶</dc:rights>
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    <title>インターネットと旅</title>
    <description>　６月はアメリカ建築ツアーを予定していたが、お目当てのフィリップ・ジョンソンのグラス・ハウスを見学することだできず、諦めた。インターネットで情報を誰もがいち早く収集できるようになり、世界の時間距離が急激に短縮してしまった。それゆえ、弊害もある。ニューヨ...</description>
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　６月はアメリカ建築ツアーを予定していたが、お目当てのフィリップ・ジョンソンのグラス・ハウスを見学することだできず、諦めた。インターネットで情報を誰もがいち早く収集できるようになり、世界の時間距離が急激に短縮してしまった。それゆえ、弊害もある。ニューヨーク郊外にあるグラス・ハウスの見学も、インターネットで先着順に予約申し込みができるので、昨年末すでにsold out状態で今年いっぱいはどこにも空きがなく、ツアーのプランを立てることができず、断念するしかなくなってしまった。グラス・ハウスの見学ツアーは通常は25ドルと40ドルのコースがあるのですが、その他にプライベートコースやパトロンコースがあり（こちらはsold outではなく、希望の日時を伝えて交渉することができる）、そちらは500ドル、1000ドルになっている。寄付という名目になっているが、その差が激しく、一回の見学料がこのように高額であれば、建築ツアーを簡単に組むことはできない。雑誌などの取材で、建築物や財団を維持していくために高額の撮影・取材料を要求される場合もあったが、個人で旅行代金とは別に500ドルを払ってまで見るかと問われると、頭を抱えてしまう。<br />
　だが、いつまでもグラス・ハウスにこだわっていてもと思い頭を切り換えて、今年の秋に「ケルン、スイスのズントー建築を訪ねる旅（９日間）」（2008.10/30〜11/7）を企画した。ケルンに昨年誕生した、ズントーの聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館とブルーダー・クラウス・野のチャペルを視察して、その後スイスへ移動して、ヌーヴェルのルツェルン文化会議センターうあズントーの聖ベネディクト教会を視察してヴァルスの温泉施設（テルメ）を体験します。ル・コルビュジエのロンシャンの教会やチューリッヒのル・コルビュジエ・センターなどを視察した後パリへ。パリで半日視察して翌日は終日自由行動を楽しむこともできます。<br />
　編集者が企画している建築＆アート・ツアーで、参加される方のプライオリティで旅を編集していただきたいというのが、このツアーのコンセプトです。現在、BCCで案内を発送したばかりで、リクエストが多ければコース変更も考えられますが、現段階ではまだ未定です。お問い合わせ先：トラベル・プラン（nakano@travelplan.co.jp）
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-06-30T11:21:59+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>編集は学校</title>
    <description>　昔、開高健はコマーシャルのコピーで「お酒は学校」といっていた。僕もそう思う。職業、地位、年齢、性別、人種などの垣根を超えてコミュニケーションするための橋渡し役をお酒がしてくれるからだろう。本を読むことで人は成長していくが、その本を書いた人や本の中に登...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　昔、開高健はコマーシャルのコピーで「お酒は学校」といっていた。僕もそう思う。職業、地位、年齢、性別、人種などの垣根を超えてコミュニケーションするための橋渡し役をお酒がしてくれるからだろう。本を読むことで人は成長していくが、その本を書いた人や本の中に登場してくる人に会いたいと思う。しかし、人と会うには勇気がいる。お酒はときには人を勇気づけ、周囲を和まし、慰めてくれる。<br />
　僕は、「住まい学大系」を発行していた住まいの図書館出版局に９年間お世話になった。編集長は植田実さんで、通称「植田スクール」とも呼ばれていた。編集者の学校でもあり、植田さんは結局100冊（プラス１冊）を刊行した。植田さんの下には常時３、４人の編集者がいて、午後から始まる編集会議のあとは、新宿西口にあった立ち飲み屋で先ほどまでなかなか決まらなかった案件が、ものの５分とかからないうちに結論がでる。あとは編集者のそれぞれの話に花が咲き、酒の肴となる。「編集は学校」なのである。<br />
　もうひとつの「学校は本屋」である。最近は、「本屋は学校」であるといえる本屋が少なくなったが、いい本屋に行くと頭が下がる。自分が勉強していないこともさることながら、もっといい本をつくらなければという反省も込めてで、背筋がピンと伸びて新入生のような気持ちになれる。植田さんも幼少のころから本屋通いをして多くのことを学んだといっていたが、僕もその口だ。本をいかに整理するかは、自分の脳の中の知識や情報をどう整理するかと同じで、頭がいい本屋さんへ行くと素直な気持ちになるが、人に何かを伝える気持ちがなくただ本を並べているだけの本屋さんへ行くと腹が立つ。それは自分が探している本に早くたどりつけないという苛立ちもあって余計に腹が立つ。でも、それは自分が学校だと思える自分だけの本屋を探し、その本屋さんを大事にしていけばいいのではないだろうか。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-05-08T10:55:46+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>おネエMANSに学ぶ</title>
    <description>　女性よりも女らしいオカマや、日本人よりも日本人らしい外国人がいる。彼らに共通しているのは、ふたつの視点から見ているということだ。前者は男性と女性というふたつの視点、後者は外国人と日本人という視点、テレビに登場する彼らは、みな明るいお笑い系で、頭がよく...</description>
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　女性よりも女らしいオカマや、日本人よりも日本人らしい外国人がいる。彼らに共通しているのは、ふたつの視点から見ているということだ。前者は男性と女性というふたつの視点、後者は外国人と日本人という視点、テレビに登場する彼らは、みな明るいお笑い系で、頭がよく、洞察力がある。おバカなクイズ番組全盛期にオカマのゴールデンタイム進出は当然であり、また日本語がうまく、日本の文化にも精通している外国人を見ると、逆の意味での欧米化かなどと考えてしまう。だが、彼らから学ぶべきことが多い。それはいろいろな意味でわれわれがアイデンティティを喪失しているからでもある。<br />
　ヴァーチャル・リアリティの技術が生活の中に入り込み、ゲームの世界のヴァーチャル・リアリティはより現実世界に近づきつつあり、アキバ系のオタク文化は別の価値観を生み出し、フィギアと現代アートの境界線が消え、日本のひとつの文化として世界的に評価されつつある。また、まんが喫茶の急増でゲームやコミック・アニメの世界に一日十数時間も入り込んでいると、実際に現実世界で生活しているよりも仮想現実の中にいる時間のほうが長くなり、ヴァーチャルな世界にしか興味が持てなくなり、そこにしか自分の居場所を見いだせなくなっている。現実の世界に興味がないので、生活感がないというか、現実の世界で生きているという気魄が感じられない。記号論的に見れば、コスプレもそのひとつの現象であり、コミックのキャラクターに影響され、ファッションだけでなく、性格・考え方・生き方などすべてをコピーして生きている人が少なくない。<br />
　また、日本のテレビドラマもそうで、コミックやアニメの焼き直し的なものが多く、これは制作側だけでなく、見る側にも問題があり、双方とも想像力が欠乏しているように思える。<br />
　ヴァーチャル・リアリティは脳の問題でもあるが、人は夢を見続け、あるとき夢から覚めて現実の世界へ戻るのだが、現実の世界で生活している時間よりも、仮想現実の世界にどっぷり浸かっている時間が長いとどちらの世界へ戻っていいのかわからなくなる。今のゲームはいうなれば、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」のように自分が主役になって物語をつくることができる。脳はつねに刺激を求め、また仮想現実の世界に自分の居場所を見つけようとする。現実の世界に自分自身を引き戻すためにも、生活力のあるおネエMANSにマナーや家事全般の手ほどきを受け、日本人らしい（日本の文化の素晴らしを知っている）外国人に、喪失してしまった「日本人としてアイデンティティ」を補填してもらう必要があるのではないだろうか。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-04-24T12:12:10+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>極道の妻より強い「斉藤さん」</title>
    <description>あんなに強い斉藤さんのダンナの顔が見てみたい。</description>
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あんなに強い斉藤さんのダンナの顔が見てみたい。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-03-18T14:54:22+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>イスの話</title>
    <description>　深澤直人さんの新作のイスを見た。
　イスのデザインは身体に一番近い家具（道具）なので、最も難しいといわれている。それは、どんなに美しいイスであっても、身体はそのイスを見た瞬間座りたいか、座りたくないか、即座に反応するからだ。形状、質感、量感などを瞬時に...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　深澤直人さんの新作のイスを見た。<br />
　イスのデザインは身体に一番近い家具（道具）なので、最も難しいといわれている。それは、どんなに美しいイスであっても、身体はそのイスを見た瞬間座りたいか、座りたくないか、即座に反応するからだ。形状、質感、量感などを瞬時に計算して、視覚だけで座り心地のよさを予想する。デザインは見た目が重要で、座らなくても、くつろげるイメージがあるイスには、人は自然に近づいていく。イスの意味性を考えると古代から玉座のように権威の象徴としてのイスもあれば、段ボールでつくった簡易的な使い捨てのようなイスもある。深澤さんのイスは木製のイスだが、フォルムがやわらかく見た瞬間座ってみたいと身体が反応した。<br />
　この深澤さんのイスの展覧会（深澤直人［木のイスとテーブル展］2008年1/22-2/10、東京・西麻布のギャラリール・ベイン）の案内ハガキには、「木のいいイスとテーブルをデザインしたかった。ウエグナーのY-chairやヤコブセンのSeven chair、そしてイームズの椅子を超えるものなど見たことがない。時をこえて評価されるものをデザインしたいとずっと思っていた。だからマルニといっしょにこの困難な目標に向かって静かに進み始めたのだ。評価はずっと先でいい」（深澤直人）と書かれていた。ウエグナーやヤコブセン、イームズを超える椅子は、僕もまだ見たことがない。Y-chairやSeven chairは愛用しているが、イームズのLCWもそうだがこれらのイスは完成度が高く、彫刻のようにオブジェとして見ても美しい。深澤さんの新作のイス「HIROSHIMA」もディテールが美しい。素材はブナ材とナラ材のものがあり、バランスもよく、触れたくなるためか自然とそのイスに身体が近づいていく。コスト的なこともあるので、このイスの評価はずっと後になるだろうと思うが、日本人のデザイナーがこのようなイスをデザインしたことが素直に嬉しい。半世紀先の評価が楽しみなイスだ。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-02-29T11:20:13+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
    <dc:rights>鈴木紀慶</dc:rights>
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    <title>レンとハナ</title>
    <description>　うちに二匹の猫がいる。名前はレンとハナ。園芸好きの妻がつけた名前で、“蓮華”の蓮を音読み、華を訓読みにして名前にした。蓮華だとレンゲだが、華蓮だとハナレンとも読める。二匹は付かず離れずの関係でいるというよりは、丸い籠の中に二匹が入って寝るときなどはピ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　うちに二匹の猫がいる。名前はレンとハナ。園芸好きの妻がつけた名前で、“蓮華”の蓮を音読み、華を訓読みにして名前にした。蓮華だとレンゲだが、華蓮だとハナレンとも読める。二匹は付かず離れずの関係でいるというよりは、丸い籠の中に二匹が入って寝るときなどはピタッと見事に組み合わさっている。顔と顔をくっつけ前脚を交差させ左右対称のときもあれば、複雑に絡み合っているときもある。だが、その寝ている姿を見ると、気持ちがやわらぐ。レンとハナは今年３月でようやく２歳になる姉妹猫。どっちが年上だかは分からない。レンは野性的、男性的でクールだが、用心深い。ハナはお嬢さん、お姫様タイプでおっとりしていているが、しっかり者。姉妹でありながら、体型（レンは細身でやや長身で薄毛。ハナは顔も体型も丸く、むっくりしていて毛がふさふさしている）も性格もまったく違う。人間もそうだが、兄弟姉妹はプラスとマイナスの関係にあるのか、うまい具合にないものを補うようなかたちで、バランスを保っている。<br />
　我が家には、レンとハナがやってくる前に20年近く一緒に暮らした猫がいた。マオという雌猫で、これが本当によくできた猫だった。主人の私が帰ってくると、どんなに遅くても玄関で三つ指を立てて迎えてくれる。我が家に福も人も招いてくれた猫で、今でも感謝している。この二匹がマオくんのようなよくできた猫になるかどうかはわからないが、それはあまり期待していない。よくできた雌猫だと、猫が本妻ではないかと妻からも疑われるからだ。<br />
　しかし、動物がいるだけで家の中がなごむ。赤ちゃんもそうだが、家族とのコミュニケーションをより円滑にしてくれる。犬は毎日散歩に行くので、ご近所とのコミュニケーションも円滑にしてくれる。だが、猫は犬のように従順ではなく、散歩もしない、勝手に生きている。そこがいい。ときどき暴れ回り、早朝や深夜にニャーニャーと訳の分からない声で啼くことがあるが、それが最新の猫語翻訳機などでいちいち人間の言葉に訳されたら、よけいうるさくてたまらない。ペットは人と人のコミュニケーションを図るうえではうまい具合に調整役を買ってくれているが、人と動物の間では言葉が通じないことがお互いによさそうだ。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-02-28T17:20:26+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
    <dc:rights>鈴木紀慶</dc:rights>
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    <title>昼飯の問題</title>
    <description>　昼飯の問題。椎名さんではないが、これは大問題である。
　東中野に事務所を移したとき、まずは探検してみようと、周囲だけでなく、ちょっと遠いけど美味しい店があると聞くと遠出をしたりもした。その甲斐あって、蕎麦屋、中華、下町の洋食屋など何軒か気に入った店を見...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　昼飯の問題。椎名さんではないが、これは大問題である。<br />
　東中野に事務所を移したとき、まずは探検してみようと、周囲だけでなく、ちょっと遠いけど美味しい店があると聞くと遠出をしたりもした。その甲斐あって、蕎麦屋、中華、下町の洋食屋など何軒か気に入った店を見つけ、東中野もまんざらではないなと思った。東中野駅の西側（山手通りをわたった商店街）にある十番という中華店は昔若乃花が明大中野高校時代に通ったという店でここのタンメンとジャージャーメンは定評がある。駅の南側で山手通り沿いにある津つ井という下町の洋食屋もいい。いつ行っても美味しいご飯（お米）を出してくれる。最近、話題になっている自家製麺のつけ麺屋もいい。だが、数が少ないのでローテーションを組んでもすぐに飽きてしまう。<br />
　中村好文さんのところの昼飯はくじ引きで当番を決めて昼飯をつくっていると聞き、あるとき「そうだ、自分でつくればいいだ」と思い、近くのスーパーへ飛び込んだ。それまでコンビニしか行っていなかったのが、スーパーにはこんなに豊富な食材があり、しかも安くて新鮮だった。それで、生ものはあまり保たないので、食べたいときだけ少量買うが、冷凍食品を安いときに買いだめしておくという知恵をみにつけた。うどんなどは冷凍もののほうが生麺よりもいいのではないかと思う。そう思ってパスタ系の冷凍食品を食してみると、これも悪くない。主婦や独り者の人は「そんなことは昔から知っているよ」と怒られそうだが、冷凍食品に対してどうも抵抗感がある頭の固いおじさんには主婦の手抜き料理くらいにしか思っていなかったので、ちょっとしたカルチャーショックだった。<br />
　しかし、最近のニュースではまた食の安全性の問題で、冷凍食品が問われている。が、ここ数年の進化は目を見張るものがある（今頃そう思っているのは僕だけかもしれない）。昼飯を自分でつくるとカロリーの摂取を控えることができ、経費節減になる（これが一カ月で精算してみるとバカにならない。１回1000円という食費が毎日のことだと高いと思わなくなるから不思議だ）。料理をつくるための光熱費や人件費などを加えたとしてもかなりの節約になり、地球環境への負荷を軽減しているような気がしてくる。<br />
　お腹が出たメタボおじさんが、最近ちょっと気になるのがカロリーで、お店へ行くと僕はついつい多く注文してしまうクセがあり、家族と行くといつも顰蹙を買う。それだけでなく、出てきたものを残すのが嫌いでついつい食べてしまう、そう「千と千尋の…」のブタになってしまうのだ。<br />
　編集のような仕事をしていると食事をとる時間は、どうしても不規則になる。それは集団で行動している場合はやむを得ないとしても、一人で原稿を書いているときなどは、時間の調整が（締め切り前で切羽詰まっていなければ）比較的できる。アイデアが浮かばず煮詰まってしまったりすると、料理をすることにしている。これが気分転換にいい。めんどうくさいと思わなければ、自分が食べたいものを適量つくり、栄養のバランスもちょっと考え、付け合わせなども残りものを使えば見栄えもよく、一瞬だが幸せな気持ちになれる。編集者的な発想かもしれませんが、残りものだけでこれ以上ないという料理ができたときはこの上ない喜びがある。<br />
　しかし、仕事が忙しく、食事をする時間を惜しんで仕事をしたいと思っている人にとっては、昼飯は時間があれば食べるが、時間がなければ食べずにすますという人もいるだろう。僕の友人はダイエットを兼ねて、一日二食して昼飯は食べないようにしたと言う。その替わり朝はしっかり食べ、夜は適量食べるとのこと。ストレスにならなければ、これがダイエットには一番効く。僕も一昨年それを試みて、見事に５キロ体重が減った。僕の場合は、一日二食ではなく、三食ちゃんと食べるのだが、一回に食べる量を減らすことで、約３カ月で成功した。ただ、僕の場合は学生時代から夜晩酌する習慣があり、夜はご飯（お米）は食べないのだが、ビールと日本酒（たまに焼酎）は毎晩欠かさない。それでカロリーをかなり摂取してしまうので、食事量を減らしたとはいえ、カロリー計算上はあまりあてにならない。あれ、昼飯の問題が晩ご飯の問題にすり替わってしまったが、食の問題は地球環境の問題に通じる。<br />
　昼飯は食うべきが食わざるべきか、食べに行くべきか自分でつくるべきか、今日も悩むことにしよう。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-02-05T12:33:05+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>イチロー選手に思うこと</title>
    <description>　イチロー選手が話す言葉に多くの人が一喜一憂し、彼のようになりたい、近づきたいと思っている人はできるだけ、彼の考え方なり、心構えなどを盗み取ろうとしている。そのためか、オフシーズン中にはイチロー選手の特番が目立つ。僕が彼に思うことは、イチロー選手は遊び...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　イチロー選手が話す言葉に多くの人が一喜一憂し、彼のようになりたい、近づきたいと思っている人はできるだけ、彼の考え方なり、心構えなどを盗み取ろうとしている。そのためか、オフシーズン中にはイチロー選手の特番が目立つ。僕が彼に思うことは、イチロー選手は遊びの天才であり、自分が好きな遊びを最大限楽しむにはどうしたらいいかをよく知っている人だと思う。もっと言ってしまえば、アメリカ人に本当の野球の面白さを、逆輸入するようなかたちで、彼らに再認識させた人だと思う。彼のように、打つ、守る、走ると三拍子揃って優れた選手は少ない。近代スポーツには、パワーと技だけではなく、速度が重要になっているが、彼の場合は俊足で、それでいてあの細い体でボールを打っても投げても遠くへ飛ばすことができる。野球もよく知っていて判断も早く、見せる野球（観客を喜ばす）もよく心得ている。<br />
　野球は遊びではなく、職業、仕事だと言ってしまえばそれまでだが、スポーツはある決められたルールのなかで、どのようにしたら最高に楽しめるのか、ということは遊びと同じで、その場合自分よりも弱い人たちと一緒に遊んでもあまり楽しくない。子供がある遊びをするとき、年少者よりも年長者を好むのは、自分よりも強い人たちのなかに混ざって遊ぶほうが楽しいからだ。ゲーム性をともなう遊びはみな同じで、自分の力を試すためには同等かまたはそれ以上の力をもった人たちと遊ぶほうがはるかに楽しく、レベルが高い人たちのなかに入って、自分がもてる力を出し切り、または試行錯誤して懸命に考え努力して勝てたときはこの上ない喜びがある。イチロー選手はそれをよく知っている。だから、日本のリーグで活躍してトップ選手のままでいるよりは、もっと上のクラスへ行って、昔の野球少年のように目を輝かせて、好きな野球を思いっきりやりたいと思うことは彼にとっては自然なことだと思う。今でも純真な気持ちで野球ができることが、彼にとっては最大の喜びなのだろう。<br />
　イチロー選手の成功は多くの人たちに夢を与えている。あの体で、怪我せずに健康管理に神経をとがらせて維持していることはすごく、一日でも長く好きな野球をやりたい、誰よりも野球を楽しみたいと思う気持ちが伝わってくる。それで思うことは、「遊んではいられない、もっと真剣に遊ばなければ」ということ。これは僕が学生時代につくった格言です。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2008-01-25T18:11:07+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
    <dc:rights>鈴木紀慶</dc:rights>
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    <title>カワイイパラダイム</title>
    <description>　昨日、真壁智治さんのお誘いをうけ、リビングセンターOZONEで開催された「カワイイパラダイム」というシンポジウムへ行ってきました。出演者は、真壁さんをはじめ、柏木博さん、五十嵐太郎さん、佐藤卓さん、祖父江慎さん、ヒシヌマヨシキさんといった方々で、６時間に...</description>
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　昨日、真壁智治さんのお誘いをうけ、リビングセンターOZONEで開催された「カワイイパラダイム」というシンポジウムへ行ってきました。出演者は、真壁さんをはじめ、柏木博さん、五十嵐太郎さん、佐藤卓さん、祖父江慎さん、ヒシヌマヨシキさんといった方々で、６時間にもわたる長丁場でした。「カワイイ」サーベイという専門家の方の話が前半あり、後半はクリエイターによる（企業も加わった）「カワイイ」プレゼンテーションでしたが、なんといっても一番カワイかったのは、祖父江さんのキャラクターでした。祖父江さんが発表のときは会場は爆笑の渦で、キャラ勝ちというのがありますが、昨日のシンポジウムはまさにそんな感じでした。私も編集者の一人として、グラフィックデザイナーの祖父江慎という名前は知っていたのですが、お会いしたことがなく、彼のキャラクターまでは知りませんでした。祖父江慎という存在を知り、今まで知らなかった自分が潜りの編集者ではないかと思え、祖父江さんに装丁を頼めるような本の仕事をしようと思ったしだいです。大変勉強になりました。<br />
<br />
＊自分に素直であることもカワイイの要因のひとつではないかと思いました。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2007-12-12T09:03:28+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>9月のクラブラン</title>
    <description>　９月のクラブランの別れぎわに、K沢さんに「クラブランの報告を書いて」と言われたが、ツーリングの紀行文（そんな大袈裟なものではなく、ポタリング散策記くらいかな）を書くのは20年、いや30年ぶり、正確には35年ぶりくらいだと思う。考えたら、随分昔のことで初めて...</description>
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　９月のクラブランの別れぎわに、K沢さんに「クラブランの報告を書いて」と言われたが、ツーリングの紀行文（そんな大袈裟なものではなく、ポタリング散策記くらいかな）を書くのは20年、いや30年ぶり、正確には35年ぶりくらいだと思う。考えたら、随分昔のことで初めて書いたのは、高校生の頃で、文章を書くことに慣れていなかったので、悪戦苦闘したように記憶している。<br />
　当時発行していた会報誌「緑輪」は、ガリ版で担当者が会員の原稿を見てガリを切り、さらにローラーにインクを付けて一枚一枚刷り、それを製本していたのだから、大変だったろうなと思う。毎月発行していたんだからスゴイ。それを読むとその当時の会員の熱い思いが伝わってくる。「俺も走るぞ！」という気持ちにさせてくれる。最近、そういう気持ちを忘れていたら、本屋でたまたま、まだ熱い心を持った青年が書いた本を見つけた。余談になってしまって申し訳ないが、紹介しておこう。『行かずに死ねるか！　世界9万5000km自転車一人旅』（石田ゆうすけ／幻冬舎文庫）。本のタイトルは、昔内藤陳さんが書いた『読まずに死ねるか！』というタイトルをもじったものだが、自転車で一人の人間が7年半も世界中を旅した記録なので、読み物としても面白い。<br />
　さて、そろそろ本題に入らないと怒られそうなので、９月のクラブランの報告をします。４月に送られてきたお知らせのなかに、１年間のクラブランの項目があり、よく見ると、９月は「荻窪ラーメンめぐり」とあり、その下に「S木」と大きく太い文字で記されていた。これって、僕のことかな？　現在数少ない会員で僕以外に「S木」はいないし、「ううう、でも、コースはつくってみたものの、当日仕事が入ってしまい、コースを設定した本人が行けなくなるとシャレにならないし、嬉しいけどちょっと困ったな」という感じでした。<br />
　まずは、荻窪ラーメンといえば、あの「横浜ラーメン博物館」にも出店している「春木屋」でしょう、ということになり、新宿あたりから走るのがいいかなと思ったが、新宿や渋谷は人が多いので、人ごみをさけると高田馬場がいいということになり、神田川、青梅街道、五日市街道、善福寺川、妙正寺川、早稲田通り、旧早稲田通りという順で走り、そこに「妙法寺」と「石神井公園」を組み込むかたちで、30キロの軟弱コースが出来上がった。全コースの地図を切り貼りして、コースを赤鉛筆で塗っているのが楽しく見えたのか、久しぶりに古い自転車を引っぱりだしてきて、修理しているのが楽しそうに見えたのか、長女に声をかけたら、「私も走りたい」と言ってくれたので、まずは１名参加有り。あまりの軟弱コースで誰も参加しなかったらどうしようと心細くなっていたので、身内であっても心強い。<br />
　下の娘が現在高校生でバレーボールをやっているため、試合などで早朝出かけるときは車でおくって行く。仕事の関係でふだん家を留守にすることが多い僕のせめてもの罪滅ぼしかな。クラブラン当日の朝７時、自転車を２台車の荷台へ押し込み、次女を東高円寺へおくりとどけ、そこから東中野にある事務所へ行って、自転車をおろし、すぐに自宅へ戻って、今度はJRで荻窪から東中野へ行って、そこから自転車で高田馬場へと思ったのだが、電車に乗った時点で時計を見たら、8時40分を回っていた。「これは、まずい」と思い、急遽集合場所の高田馬場駅へ何も持たずに向かった。着いたら、T野さんはすでに自転車を組み上げていて、駅前の広場には今しがた着いたという感じのI出さんがいた。K沢さんは熱が出て今日は欠席とのこと。残念。まぁ、ベストメンバーではないが、僕の軟弱コースにもかかわらず、参加していただいただけでも感謝感激。しかし、自転車も持たぬまま参加したS木親娘は、どこか間抜けな感じだった。コースの途中で待っていますと言い訳をして、すぐに東中野へ自転車をとりに引き返し、先ほどみんなに伝えた場所へ向かった。<br />
　今回娘が乗る自転車は、まだ調整が不十分で若干心配なブレーキやタイアを修理していたところにT野さんとI出さんが現れ、修理を手伝ってもらい、あっという間に完了。サイクリング初心者の娘が走れるかなという、もうひとつの不安もあったが、まぁ距離が短いということもあって、それは心配には及ばなかった。<br />
　今回僕も初めて訪れた「妙法寺」は、堀之内やくよけ祖師として知られ、日蓮宗の寺院で、毎月縁日があり、お参りに訪れている人が多いそうだ。途中寄った大田黒公園は音楽評論家の大田黒元雄さんが仕事場として使っていたというお屋敷で、見事な回遊式の日本庭園がある。そこで小休止と思っていたのだが、蚊が多く、早々に退散して、昼食にはまだ少し早いが、今日のお目当ての「春木屋」へ向かった。大田黒公園からは目と鼻の先。時計を見たら、11時半。「春木屋」が最も混む時間帯は1時から2時で、お店から駅までとは言わないが長い行列ができる。テレビなどを見て遠くから車で来る人もいて交通渋滞もおこる。今しかないと思い、予定よりも30分早いが、飛び込もうと思っていたところへ、K沢さんが自転車に乗って現れた。体調を崩していたので、出発が遅くなり、新宿駅から、あとを追いかけ、昼頃にはどうせ「春木屋」にみんな来るだろうとヤマをはり、とりあえずここで待ち伏せしようと思い、早めに来たのが正解だったようだ。今回、A木くんがいないがほぼベストメンバーになり、席も空いていたので、全員並んでラーメンを食べた。「味はどうか？」とたずねられると個人差があり、僕にはなんとも言えない。現在のラーメンはダブルスープ（豚骨と魚）が主流になっているが、「春木屋」は昔ながらのさっぱり系の鶏ガラ？などを使ったスープで正統派だと思っている。もう一軒、有名な「丸福」というラーメン屋があったが、経営者の高齢化でだいぶ前に店を閉めた。そう、「丸福」のほうがもっと正統派であり、支那そばという戦後の日本のラーメン、日本蕎麦屋に行くと今でもある和風ラーメンといったらいいのか、細麺であっさりしたスープのラーメンで、「春木屋」はあっさりしているが濃くと旨味がある。でも臭みがなく、スープも澄んでいる。通はお酢を垂らす、スープがまろやかになり味に深みが出る。<br />
　どうも、クラブランの報告ではなく、料理取材のような原稿になってしまい申し訳ありません。昼食後は、S木宅へ寄ってもらい、30分ほど小休止。その後妙正寺公園、妙正寺川、早稲田通りから旧早稲田通りを通って、石神井公園の三宝寺池へ。ここは東京23区内なのだが、湧き水があることから、三宝寺池沼沢植物群落があり、国指定の天然記念物になっている植物がいくつかある。この三宝寺池の周りに木製の遊歩道があり、自転車を置いて、みんなで散策した。まぁ、これで今日のクラブランはほぼ終了。時計はまだ2時前だったが、横浜方面の３氏は南を目指して多摩川へ出て、そのまま帰宅するとのこと。今日のクラブランの走行距離よりも、帰宅する距離のほうが長く、僕のつくったコースがあまりにも短く、みんな脚（の力）が残っていて、物足りないのだろう。先週ももの凄く暑かったが３氏は東京シティサイクリングに参加した、現役のサイクリストはやはり強い。炎天下ご苦労様ですと思い、あまりにも短いコース取りに問題があったかなと反省し、少し申し訳ない気持ちで別れた。（了）<br />

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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2007-09-24T12:05:38+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>ラーメン博物館</title>
    <description>　昨日、新横浜ラーメン博物館に子供と初めて行った（今頃行って、遅いといわれそうだが）。面白かった。企画力に完敗、いや企画を実現し、運営している力に完敗した。ラーメンを食べるために、入場料を払うことに、一瞬ムッとするが、中に入るとアミューズメント・パーク...</description>
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　昨日、新横浜ラーメン博物館に子供と初めて行った（今頃行って、遅いといわれそうだが）。面白かった。企画力に完敗、いや企画を実現し、運営している力に完敗した。ラーメンを食べるために、入場料を払うことに、一瞬ムッとするが、中に入るとアミューズメント・パークになっているので遊園地に来たような興奮があり、並んで食べることもそれほど苦にならない。それよりも、待つ時間が長ければ長いほど、ラーメンの味を期待し、期待していた以上に上手ければ得した気持ちになる。<br />
　出店しているラーメン屋は入れ替わりもあるとのことだが、荻窪に住んでいる者として、春木屋が出店していて行列が一番長くできていたのは嬉しかった（ただ、本店にないつけ麺がメニューにあったのがちょっと気になった）。われわれは初心者なので、昨日は山形赤湯からみそラーメンを食べた。期待以上に辛く、美味く、大汗をかいたが久しぶり幸福感を二人で味わった。<br />
　なぜか、昭和30年代ブームが続いている。映画「ALWAYS三丁目の夕日」（原作「三丁目の夕日（夕焼けの詩）」西岸良平）、「20世紀少年」（浦沢直樹）など、ちょっと前のレトロは、僕ら（昭和30年代生まれ）には懐かしく、現代の10代、20代、30代の人たちには未知の世界のように思え、新鮮に感じるのだろう。世代に関係なく時間のズレを楽しんでいるようだ。<br />
　時間が逆戻りする階段を下りて、地下の昭和30年代の商店街や路地へ入り込むと、怪しいおじさん（探偵？怪人？）や面倒見がいい（ラーメンチケットの払い戻しまでしてくれる）おまわりさんが待っているよ。残り少なくなった夏休み、みんなでラーメン博物館へ行こう。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2006-08-23T09:23:23+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>建築行政について考える、「景観緑三法」の施行で、日本の景観はよくなるのか</title>
    <description>　取り壊しか、保存・再生かを巡って、住民の反対運動が起きた滋賀県豊郷町立豊郷小学校。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ（1880-1964）。取り壊しを強行しようとした当時の大野和三郎町長のリコール騒動にまで発展したのでご記憶の方も多いだろう。1937年に竣工し...</description>
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　取り壊しか、保存・再生かを巡って、住民の反対運動が起きた滋賀県豊郷町立豊郷小学校。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ（1880-1964）。取り壊しを強行しようとした当時の大野和三郎町長のリコール騒動にまで発展したのでご記憶の方も多いだろう。1937年に竣工した鉄筋コンクリート造の豊郷小学校は再生への道を開いたが、1918年竣工の同じくヴォーリズが設計したヴォーリズ記念病院（滋賀県近江八幡市）内にある木造のツッカーハウスは、老朽化が著しく解体されることになった。これは「建築の寿命」という問題と関係してくるが、木造でも法隆寺のように千三百年前に建てられたものもある。建築の寿命は、誰がどのような基準で決めるのだろうか。<br />
　昨年６月に「景観法」が成立し、今年６月に「景観緑三法」が施行された。景観緑三法とは、「景観法」「同法の整備法」「都市緑地保全法改正」の三つの法律からなり、良好な景観のまちづくりをするうえで、「景観法」がますます重要になってくると思われる。わが国では初めて「景観法」が施行されたということだが、遅過ぎた感がある。六本木にあるディスカウントショップの「ドンキホーテ」などは、建物をやたら目立つようにデザインし、現在屋上にはジェットコースターのようなアトラクション施設を建設中である。周辺には住宅も多く、騒音や安全性などの問題が問われているが、景観としてみたら醜く、あのような場所に巨大な電波塔のようなアトラクション施設は必要ないように思えるのだが。<br />
　現在、戦後何回目かのマンション建設ラッシュだが、建設を反対する周辺住民との諍いが絶えない。新たに建つマンションは違法建築物ではないが、建築基準法の規制緩和を利用して、容積率を増やし（それによって住戸数が増える）、最大限のヴォリュームを持ったマンションが住宅地に建設されている。日照権や眺望権の問題もあるが、歴史的にすぐれた景観がある場所であれば、スケールの異なる巨大な建物が建つことで景観が著しく損なわれることになることは間違いない。<br />
　このことで、真っ先に思いつくのが、「国立のマンション裁判」だ。国立のマンションを建設したディベロッパーは、20メートルの高さ制限を規定した国立市建築条例の改正直前に駆け込み申請を行い、緊急着工した。建築基準法をクリアーしているという理由で43.65メートルの高層マンションを建設した。判決内容の中に「本件建物が同法上の違法建築物にあたらないからといって、その適法性から直ちに私法上の適法性が導かれるものでもなく、本件建物の建築により他人に与える被害と権利侵害の程度が大きく、これが受忍限度を超えるものであれば、建築基準法上適法とされる財産権の行使であっても、私法上違法と評価されることもある」とある。<br />
　歴史的にすぐれた景観といったとき、都市景観だけではなく、農山魚村や里山などの景観も対象になる。近隣周辺住民や諸団体が共同して守っていて、社会的にも広く認知されていれば、日照権や眺望権と同じように景観利益が認められたことは、今後のまちづくりにおいて大きな収穫だったことは間違いない。景観を守り、また美しい景観をつくるうえでも、大規模な建物の規制がさらに厳しくなることを期待したいが、ミニ開発と呼ばれている建売住宅などにおいても規制が必要に思う。周辺への影響は少ないとはいえ、周辺との調和を考えたデザインや建築素材、色などの規制も必要だ。突然スウェーデンハウスやカナディアンハウスなどが建てられても、その地域との文脈的なつながりが感じられない。風景に馴染まず、周辺環境から浮いた建物はコミュニティが存在しないことを物語っているような印象さえ与える。<br />
　対ディペロッパーであれば、この「景観法」や「国立のマンション裁判」の判例などが適用できるが、相手が個人であると行政側はなかなか動こうとしない。杉並区の住宅街でも、日曜大工でコツコツと家を増築し、当初は平屋の建物だったが、増築を繰り返すうちに４階建てになり、水平方向にも増築して、敷地境界線を越えて張り出し、隣家へ被害を与えているというケースがあった。これなどは個人の意識の問題だが、地震などで倒壊すれば隣家が被害を受けることになる。個人であっても、景観を壊し安全性（耐震性、防火性）に問題がある違法建築は、当初の状態に戻すか、それができなければが強制的撤去すべきではないだろうか。周辺住民は建築行政があまりにも、無力なことに嘆いていたが、一人一人が現在の景観を守る、さらによくするために努力しなければならないのではないだろうか。つねに街並が変化しつづける景観に対して、建築行政側も指をくわえて見ているだけでなく、自然景観、歴史景観、都市景観などを保全し、これ以上悪くならないように努め、かつ違法建築でなくても、景観利益を損ねるような建物であれば、確認申請の段階で許可せず、デザインや色などを変更するように指導すべきではないだろうか。<br />
　日比谷公園に面して建つ、昭和初期（1930年竣工）の洋風建築の面影を残す三信ビルディング（千代田区有楽町）の解体が決まった。室内はアールデコ調の装飾があり、時代を感じさせる優雅なインテリアはモダン・デザインのクールさと異なり、鳥の彫刻やレリーフなど視覚的に楽しませてくれ、デザインに温かみがある。日本建築学会は所有者の三井不動産に、「三信ビルディング保存に関する要望書」を提出しているが、築75年の建物は終止符を打つことになりそうだ。設計は横河工務所（担当・松井貴太郎）。三井不動産側は長期に運営・管理していくことは困難と判断したためだ。<br />
　近代（モダニズム）建築を残そうという運動がある。それが「ドコモモ」だ。どこかの電話会社のような名前だが、Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement（モダン・ムーブメントに関する建物、敷地、環境形成の記録調査および保存）の略で、近代建築版「世界遺産」のことだ。優れたモダニズム建築を残そうという、オランダで起こった運動が発端で、世界中に広がっている。つまり、国や地域によってモダニズムの定義や選定基準が少しずつ異なるが、後世に残したいモダニズム建築を現段階で100選び、それらを近代建築版「世界遺産」に認定して、保存・再生していこうというものだ。三信ビルディングは、ドコモモ100選には選ばれていないが、三信ビルディングが竣工した翌年（1931年）東京駅前（丸の内）に建てられた東京中央郵便局（設計・吉田鉄郎）は選ばれている。<br />
　ドコモモ100選は、ひとつの基準であって、選外の建築でも優れていて、近代建築版「世界遺産」に等しいものは数多くある。日本は木造で、火事が多かったことに起因しているのか、また一回性的な（伊勢神宮の遷宮のような）ものを潔いとするのか、高度成長期から今日までスクラップ・アンド・ビルドで一度更地にして新しい建物を建ててきたが、2002年京都議定書の発効以降は環境負荷の低減を計るために既存の建物を再生したり、用途変更したりして、再利用する再生プロジェクトが増えている。2003年のオフォイス問題もそのひとつだった。<br />
　ヨーロッパ型の成熟社会をむかえる中で、自分たちが住んでいる町や村の景観をどのように守っていったらいいか。また、建築行政は住民一人一人の景観利益を確保しながら、まちづくりをしなくてはならない。だが、ヨーロッパのように都市計画に則って形成してきた景観ではなく、どちらかといえば自然発生的に新陳代謝を繰り返して形成してきた現在の日本の景観は、問題点が多く、世田谷区のように70年代から有識者を集めて都市美委員会をつくり、景観行政に力を入れてきたところもあるが、景観を意識したまちづくりはこれからだろう。だが、せめてもの救いはかつての俗悪な景観をつくっていた郊外の大型パチンコ店が景観賞を受賞していることだ。これは店舗設計を建築家が手がけるようになり、荒涼とした郊外の風景が少しずつだが変わろうとしている。<br />
<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2005-11-29T19:18:42+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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    <title>自転車に乗らないサイクリスト</title>
    <description>　自転車に乗らなくなったのはいつ頃からだろうか。
　もう10年以上経つ。それまでは、交通手段のひとつとして、またツーリングのための道具として、頻繁に乗っていた。
　乗らなくなった原因のひとつは駅前自転車だ。駅周辺に放置された自転車による公害、現在は駐輪場が増...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　自転車に乗らなくなったのはいつ頃からだろうか。<br />
　もう10年以上経つ。それまでは、交通手段のひとつとして、またツーリングのための道具として、頻繁に乗っていた。<br />
　乗らなくなった原因のひとつは駅前自転車だ。駅周辺に放置された自転車による公害、現在は駐輪場が増え、登録すれば駐輪することが可能になり、若干迷惑駐輪は減ったが、まだ自分の１台だけなら問題ないだろうという身勝手主義の無法者がいる。自転車ならまだしも、バイクでもそういう身勝手主義の無法者が多く、自転車置き場（長時間の駐輪が禁じられてい場所）に、堂々と置いている。そこは道路ではないので、駐車違反にならないことをいいことに大型バイクまでおいて、狭い道路をふさぎ、より狭くして、歩行者の通行を妨げているのだが、区も警察は見て、見ないフリをしている。そこで、思ったのは自転車に乗らなければ、駐輪で悩むこともない。帰宅のときも置いた場所にちゃんとあるかなと心配することもない。また、自転車を管理している人たちが多少乱暴に扱っても壊れることもない。そして、自分が乗らないために、駐輪場も１台分空きスペースができ、駐輪場を利用するための料金もかからず、自転車の修理代もかからない。こんないいこと尽くめのことはないと思い、自転車に乗ることをやめた。<br />
　酒とタバコはやめようと思ったことはないが、自転車をやめた途端に体が健康になったような気がした。酒やタバコをやめて、以前より健康になったという話は聞くが、自転車をやめて健康になったという話は聞いたことがない。競輪選手やロードレースの選手（トレーニングで毎日100km以上走っている人たち）が練習をやりすげて体を壊した、というならいざ知らず。普通の人が自転車をやめて…、というのは納得がいかぬと怒られそうだ。昔の人は、よく歩いた。自転車が高級な乗り物だったこともあり、そう簡単に買えなかったこともあるが。えっ、戦前の話だろって。いえいえ、戦後、1964年の東京オリンピック、いや1970年の大阪万博までは気分的に貧しかったような気がする。話を元に戻すが、昔の人は自転車など乗らずにみんなよく歩いた。最近は、タバコを買いに行くのも自転車や原付バイク、田舎では軽自動車か軽トラだ。田舎の人も歩かなくなったという話をよく耳にする。都会にいる人は電車の乗り換えなどでけっこう歩いていているので、田舎の人のほうが逆に歩いていないのではないだろうか。また、それてしまったが、自転車をやめて健康になったというのは、歩いている時間が増え、その分運動量も増え、カロリーの消費量が増えたので、以前よりも健康になったという話だ。長い距離をある一定の速度で歩き続けるのは体にいい。つまり、有酸素運動をするためにわざわざスポーツジムなどに行かなくても、歩くだけで十分できる。<br />
　まず、断っておきたいのだが、僕は自転車に乗るのをやめよう！などと言っているのではない。僕自身自転車大好き人間で、現在も峠道や林道を走るために自転車に乗り、年に数回だが仲間とツーリングを楽しんでいる。狭い家のなかには乗らないで飾ってある（仕舞ってある。いや、隠してある）自転車が何台もあり、家族の顰蹙を買っている。<br />
　もうひとつ、僕が自転車に乗らなくなった理由は、日本の道路はサイクリストのためにつくられていない、ということだ。それは、道幅が狭いということが一番の理由だと思う。だが、都心の道路も恐いが郊外の少し広めの国道も恐い。トラックが猛スピードで走っていて、自転車を避けずに平気で追い越しいく車やバイクが多い。日本の道は狭いだけでなく、電信柱やガードレール、標識などが道路脇にあり、夕暮れ時などはそれらにぶつかりそうになり、いつもヒヤヒヤする。それで家の近所で自転車に乗るのを諦めた。でも、10年程前までは走っていたが、オランダに行って、オランダの道路事情知り愕然とした。オランダの都心、とくにアムステルダムなどは日本と同じように建物も密集しているため、道路は狭い。だが、運河と平行して走る細い道路は、人と自転車と車、それぞれの専用道路がちゃんとある。だから、自転車で通勤・通学する人が多い。中国も自転車王国だが（現在の状況は知らないが）、車よりも自転車が10年程前までは多かったので、あの広い道路を埋め尽くすように、無数の自転車が巨大な波となって移動していた。あの光景も凄まじいものがあるが、オランダの自転車はもう少し優雅で、人と自転車がもう少し密接な関係にあり、自転車に乗ることは日常的な行為で、自転車専用道路を使って生活を楽しんでいるような雰囲気がある。それは、道路が整備され、運河と緑が多いからだろう。オランダでこの自転車専用道路を気持ちよく走っている人たちを見てから、日本に帰って都心で自転車に乗りたいという気持ちが急激に萎えていった。<br />
　これは余談だが、オランダ人はなぜか体が大きい。そのため自転車も大きく、フレームサイズを見て、また愕然としてしまった。僕のように日本人の平均よりも股下が短い人間は、ものすごくコンプレックスを感じる。オランダまで来て自転車の三角乗りはしたくないなと思い、結局オランダで自転車には乗らなかったが、今度行くときは自分専用（オーダーメイド車）の自転車を持って行こう。
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    <dc:subject>エッセイ</dc:subject>
    <dc:date>2005-09-15T19:00:53+09:00</dc:date>
    <dc:creator>鈴木紀慶</dc:creator>
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