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倉俣史朗着想のかたち―4人のクリエイターが語る。
倉俣史朗着想のかたち―4人のクリエイターが語る。 (JUGEMレビュー »)
平野 啓一郎,小池 一子,深澤 直人,鈴木 紀慶,伊東 豊雄
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suzuki-e-works blog

恩師に乾杯。
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    サントリー オールドのCM、1977〜1996をYouTubeで見た。僕が捜していた羊飼いの青年が登場するCMがあった。それ以前、大学の図書館でADC年鑑などを調べたが見つからなかった。なぜ、今ごろ、そんな古いCMが気になりだしたかというと、僕は大学4年時、建築家の竹山実さんのゼミに在籍していた。そのとき自分が興味あるテーマを出し合い、みんなでディスカッションをする授業があった。僕は、その頃サントリーのCMに惹かれ、そのCMをテーマとして提出した。1979年に放映されていたものだと思うが、羊飼いの青年が羊を引き連れて野原を歩き回っているシーンがあり、(今も状況としてはあまり変わっていないと思うが、その当時の日本人の生活と比べて)「どっちが人間らしいのか、どっちが豊かなのか判らなくなった。」というナレーションが入る。建築とはあまり関係ないテーマに呆れて、竹山さんには取り上げてもらえないかもしれないという不安もあった。ところが、竹山さんはCMであっても建築と同等に取り上げ、ディスカッションのテーマとして扱ってくれた。嬉しかった。それがきっかけかもしれないが、卒業時に竹山さんに編集の仕事を紹介していただき、今日に至っている。そのCMの最後は、「素朴で飾ることを知らない青年。こうして、グラスを傾けると、妙に彼が懐かしい。あいつに乾杯。」で終わる。僕は、今見ても楽しめ、30年以上経っても古びないサントリーCMと僕の恩師に感謝を込めて乾杯。
    JUGEMテーマ:日記・一般

    | エッセイ | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
    民主主義を考える
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      学生時代、いしいひさいちの「バイトくん」というマンガを読んで笑ったが、なかには自分と近すぎて笑えないギャグもあった。それは、ある日友人の下宿を訪ね、部屋がわからず、押し入れのような部屋を開けると、(通常は上下の棚に人が寝ていることがよくあるが、さらに棚を2段増やし)4人がそこで寝ている(生活している)というものだ。あの時代(70年代)を振り返るとみんながまだ貧しかったように思う。そして、1969年の東大安田講堂占拠に象徴される学生運動、僕らはあの時代の左翼思想にどこかで引っぱられていたように思う。僕とほぼ同世代の島田雅彦さんは80年代に『優しいサヨクのための嬉遊曲』という小説を書き、その時代の空気を表現していた。
      朝日新聞は、社説で「カオスの深淵〜壊れる民主主義」を始めたが、戦後の民主主義教育は個(個人)が考えて行動する民主主義ではなく、上からの押しつけられたような民主主義であって、(いまだ成熟していないが)国民一人ひとりがまだ学習段階であったように思う。菅直人さんが、首相のときに唱えたスローガンの「最小不幸社会構築」は、僕には左翼的なマイナス思考のように思える。たしかに、菅さんは市川房枝さんの「参加民主主義をめざす市民の会」から出発し、社会民主主義へと至った経緯はわかる。また、それは正義であることもわかる。ただ、それだけでは、経済は上向かない。アメリカを目指し、ただガムシャラに走ってきた時代のバイタリティーをもう一度取り戻すために、「資本主義とは何か、民主主義とは何か」ということと、(もっとやる気が出て、国民一人ひとりが生き甲斐が感じられる)民主主義がもっと有効に働く仕組みを考えなければいけない時代に来ているのではないだろうか。
      JUGEMテーマ:日記・一般
      | エッセイ | 08:40 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
      年末の大掃除
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        いつも年末の大掃除は、その月の最後の週末にバタバタとやるのだが、今年はクリスマスと重なり週末が使えず、最後の週に何回か(3日間)にわけて掃除をした。「荻窪の家」は、来年で築8年目を迎える。早いものである。うちはカーテンはなく、銀色のアルミ製のブラインドが各窓に取り付けられていて、そこに埃がたまり黒づんでいるところもあった。そこで、その羽を掃除するためのグッズ(表面に毛が生えたような手袋)を買ってきて一枚一枚指で挟むように拭くのだが、これがかなりやっかいで根気がいる仕事だった。その後、窓ガラスを拭いた。普段やらないせいか、かなりの重労働である。以前は、事務所が別にあり、自宅と事務所の掃除をしなければならず、今考えると大変だったと思う。それと、別荘を持っている人がいるが、そうなると家事労働(掃除)は倍になる。お疲れ様です(僕は持っていないので)。そういえば、葉祥栄さんの別荘を取材したときに、「毎回ここに来ると窓拭きだけで終わってしまう、掃除が大変だ」といっていた。倉俣史朗さんも、(彼の作品にはガラスを使ったものが多く)汚れが気になると自らガラスを拭いていたという話を聞いたことがある。
        話は家事に戻るが、「家政婦のミタ」が今話題になっているが、彼女らの掃除・洗濯・炊事などをこなす家事は重労働である。経済的余裕がある家族は、家事労働を外部からのサポートで削減できるのだが、戦後は様々な家電製品が家事をサポートして時短にはなったが、その分家事も複雑になり、余暇が増えたようには誰も感じていないのではないだろうか。それなら、家事を楽しんだほうがいいのではないかと思い、自宅と仕事場を一緒にした際、とりあえず自分ができることから取り組んでいる。掃除、ゴミの分別(これがけっこう難しいというか、いつも悩む)、料理くらいだが、ロボットのようにテキパキとやるミタさんは凄いと思う。一度にいくつもの作業を併行してできる人は編集能力(編集技術)が高いと、いつも思っている。日本の家は、ドラえもんが次から次へとポケットから便利な道具を出したかのようにいろいろな道具が狭い空間を埋めている。どこかのCMのように道具に頼らない生活を考えたほうが、そろそろいいいのかもしれない。電気エネルギーだけに頼らない昔の生活に戻ったほうが、少しは幸福度が増すのではないだろうか。
        JUGEMテーマ:日記・一般
        | エッセイ | 15:59 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
        髪切り事件(続々プッタープッチ)
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          プッタープッチは、朝は機嫌が悪い。保育園に行きたくないのか、時間だから起こすと、彼女は起き抜けに「バーカ!」といい、さらに起こそうとすると「チンチンからだ」という。一瞬何のことかと思うと、あっ、そういうことかと納得してしまう。自分にそれがないことが気に入らなくて怒っているのか…。そして、2階の寝室(和室)から1階のリビングに行くには急な階段を下りなければならない。だから、いつも手摺りにつかまり、一段一段お尻をつけて下りるようにいわれているのでそうするのだが、その間も「プッタープッチ、プッタープッチ…」といっている。左手は手摺りで、もう一方の手には縫いぐるみの手を持ち、クリストファー・ロビンのように下りてくるときもある。その後は階段下のトイレに入り、怖いのでドアは少し開けたまま用をたすのだが、そのときも「プッタープッチ、プッタープッチ…」と足をブラブラさせながら呪文のように繰り替えしている。妻は歯が生えてきたときに、歯茎が痒いので、そのようなことを自然に呟き出したのではないかというがそれは定かではない。
          プッタープッチの「髪切り事件」は、ある日1階のリビングで家族みんなでテレビを観ていたときに起こった。ご飯前の夕方、大相撲の千秋楽、それも優勝決定戦「若ちゃん、貴ちゃんによる初の兄弟対決」だった、と思う。みんながテレビに集注しているときに、プッタープッチが突然、「ママ、カミ切ってもいい?」というので、妻は「いいわよ!」と答えた。そして、その取り組みが終わり、みんなが後ろを振り向くと、散切(ザンギリ)り頭の子がいて、その前には髪の毛が落っこちていた。みんないっせいにわけのわからない声を出したが、切ってしまったものはもうつながらない。そう、僕らはてっきり「カミとは紙のことだ」と思い込んでいたのだ。妻は「こんな髪では人前には出せない」といって、その年に予定していた3歳の七五三は流れた。前髪の切り口がギザギザで、おでこが丸出しになった当時の写真を見るたびに、妻は嘆くのだが、「いいわよ!」といったのは妻である。
          JUGEMテーマ:日記・一般

          | エッセイ | 11:51 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
          「村上春樹の短編を英語で読む」を読む
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            加藤典洋さんの『村上春樹の短編を英語で読む 1979〜2011』を読んだ。僕も村上ファンではあるが、あまり熱心な読者ではなく、加藤さんは文芸評論家で、すでに村上研究の『村上春樹イエローページ』を出されていたのは知っていたが、村上春樹の小説を日本語で読み、また英訳されたものも読まれ、それを日本語のわからない学生を対象に英語で講義し、(サブタイトルBut Writing About Them in Japaneseにあるように)最後はその内容を日本語で書くという手が込んだものだ。編集する側からみると、校正も含め大変だったのではないかと思う。しかし、読者としては大変わかりやすく、また村上文学を外(外国人)からの視点で見て考えることは面白く、まだ読んでいない短編を読んでみようと思った。村上文学はテンポがよく、通底にいつも心地よい音楽が流れていているような感じがあり、読者を飽きさせないテクニックはいつも凄いと思って拝読しているが、加藤さんの深読みといって書かれている箇所はとくに面白く、そういうふうにも読めるのかと…。1979〜2011年の短編小説の中にその時代が反映されていて、村上自身も抱えていた同時代の問題意識を解き明かし、このように解説していただくと見えてくることがあり、また日本語から英語、英語から日本語へという作業をしているときに(ある意味濾過されて)新たな発見もあったのではないかと思う。いくつかの小説の中に登場する「井戸」は、僕も時空間を括り抜ける装置であると思っていたが、あそこまで図式化していただくととてもわかりやすく、また村上春樹と夏目漱石の関係、吉本隆明、鶴見俊輔、宮崎駿などの関係から、わかりにくい戦後の思想の話まで、村上文学を題材にした日本社会の研究は、思わず惹き込まれて一気に読んでしまった。お薦め本です。
            JUGEMテーマ:日記・一般
            | エッセイ | 11:32 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |