ニューヨークを歩く
10月にニューヨークへ久しぶりに行き、一日だけオフがあったので、その日は朝からただひたすら歩くことにした。そういえば、この前にニューヨークに来たのはいつだっただろうか。3、4回は訪れていると思うがあまり記憶がない。覚えているのは、あの9.11のテロ以降訪れていないということだ。2001年以降、アメリカへ何回か来ているがどうしてもニューヨークへは足が向かなくなり、シカゴから日本へ帰るケースが多くなった。
10月のニューヨークは肌寒く、歩くのにはちょうどいい季節だ。ホテルがレキシントン街、48丁目でマンハッタンのほぼ中間に位置していたので、まずは北上してクーパー・ヒューイット美術館があるアッパー・イースト・サイドまで歩き、今度は一気に南下してソーホーまで歩いた。9時に歩き始めて、時計を見たら16時、途中何回か休憩したが、6時間は歩いたことになる。ちょうどその日が火曜日で、美術館は休館日のところが多い。ソーホー近くにあるSANNAが設計したNew Museum of Contemporay Artも休館日で、外観だけ眺め、ドナルド・ジャッドのスプリング通り101番地にある建物を探した。見つけることはできたが現在改装中らしく、足場がかかっていた。なかを覗き込むと、ジャッドの作品が壁に取り付けられていた。アメリカ版のガイドブックにはDonald Judd Exhibition Spaceとなっていたが、リニューアルされるのだろうか。ジャッドがリノベーションした建物を見たかったのだが、時計も17時を回り、僕自身の電池も切れそうなので諦めて戻ることにした。
そこから、かつてツイン・タワーが建っていた金融街まで歩く体力も気力も残っていなかった。タクシーをつかまえてホテルへ。さすがに持って来なかったが、出発前にいろいろと調べていたとき、1996年度版のミシュランのニューヨーク・ガイドブックがあり、そこには当然のことながらツイン・タワーがあり、ニューヨークを象徴する建物として紹介されている。2001年のテロで、「1Q84」のように歴史が大きくねじ曲がってしまい、ツイン・タワーが今もある世界とツイン・タワーがない世界の歴史が同時進行しているような、現実世界にいたわれわれがフィクションの世界に入り込んでしまったような不思議な感覚にとらわれた。
街を歩くという行為を通して、自分がいる世界がどちらなのかを探ろうとしているのか、そこからしかリアルなものを体験できなくなっているような気がするのは僕だけなのだろうか。どうやら、村上ワールドへ入り込んでしまったらしい。それは、今回旅行中に読む本として村上春樹の「1Q84」を選んでしまったからだと思うが、(僕は60年代のニューヨークに強く惹かれ、足が自然にニューヨークへ向いていたが、今はその引力から解放され)ニューヨークにいるのに、どうもそこがニューヨークであることを自分自身で実感できなかった。
多く人たちが、心の中にツイン・タワー状の空洞ができ、それを埋めるためにもがき苦しんできたように思う。現実の世界がCG画像のようになって崩壊していく姿は見たくない。この心の傷が癒されるためには、まだ何年もかかりそうだ。次回は、勇気をだしてWTC跡地(グランドゼロ)を訪ねてみようと思っている。