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カオナシがキター!
東京モード学園の建物が新宿に出現し、完成間近だが、得体の知れないものが突然現れたというような違和感がある。建物の上部だけを(総武線の車両から)見ていると、宮崎駿映画の「千と千尋の神隠し」に登場するキャラクター、カオナシに見えてくる。楕円形のノッペリとした形が顔に見え、白いテープで編んだ籠のような衣装を纏っているようだ。名古屋の東京モード学園の建物も意表を衝くデザインで、建物が龍のように捻れながら昇天している。どちらも建築がそのまま広告塔の役目を果たしている。巨大建築という欲望、それは資本の圧倒的な力を見せつけるひとつの方法ではある。宮崎さんが描いた、人間の欲望を飲み込み、それを肥やしにしてますます巨大化していくのがカオナシだが、物悲しさがある顔を持たない妖怪が、新宿の新たな顔になる日がくるのだろうか。
インターネットと旅
 6月はアメリカ建築ツアーを予定していたが、お目当てのフィリップ・ジョンソンのグラス・ハウスを見学することだできず、諦めた。インターネットで情報を誰もがいち早く収集できるようになり、世界の時間距離が急激に短縮してしまった。それゆえ、弊害もある。ニューヨーク郊外にあるグラス・ハウスの見学も、インターネットで先着順に予約申し込みができるので、昨年末すでにsold out状態で今年いっぱいはどこにも空きがなく、ツアーのプランを立てることができず、断念するしかなくなってしまった。グラス・ハウスの見学ツアーは通常は25ドルと40ドルのコースがあるのですが、その他にプライベートコースやパトロンコースがあり(こちらはsold outではなく、希望の日時を伝えて交渉することができる)、そちらは500ドル、1000ドルになっている。寄付という名目になっているが、その差が激しく、一回の見学料がこのように高額であれば、建築ツアーを簡単に組むことはできない。雑誌などの取材で、建築物や財団を維持していくために高額の撮影・取材料を要求される場合もあったが、個人で旅行代金とは別に500ドルを払ってまで見るかと問われると、頭を抱えてしまう。
 だが、いつまでもグラス・ハウスにこだわっていてもと思い頭を切り換えて、今年の秋に「ケルン、スイスのズントー建築を訪ねる旅(9日間)」(2008.10/30〜11/7)を企画した。ケルンに昨年誕生した、ズントーの聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館とブルーダー・クラウス・野のチャペルを視察して、その後スイスへ移動して、ヌーヴェルのルツェルン文化会議センターうあズントーの聖ベネディクト教会を視察してヴァルスの温泉施設(テルメ)を体験します。ル・コルビュジエのロンシャンの教会やチューリッヒのル・コルビュジエ・センターなどを視察した後パリへ。パリで半日視察して翌日は終日自由行動を楽しむこともできます。
 編集者が企画している建築&アート・ツアーで、参加される方のプライオリティで旅を編集していただきたいというのが、このツアーのコンセプトです。現在、BCCで案内を発送したばかりで、リクエストが多ければコース変更も考えられますが、現段階ではまだ未定です。お問い合わせ先:トラベル・プラン(nakano@travelplan.co.jp)
編集は学校
 昔、開高健はコマーシャルのコピーで「お酒は学校」といっていた。僕もそう思う。職業、地位、年齢、性別、人種などの垣根を超えてコミュニケーションするための橋渡し役をお酒がしてくれるからだろう。本を読むことで人は成長していくが、その本を書いた人や本の中に登場してくる人に会いたいと思う。しかし、人と会うには勇気がいる。お酒はときには人を勇気づけ、周囲を和まし、慰めてくれる。
 僕は、「住まい学大系」を発行していた住まいの図書館出版局に9年間お世話になった。編集長は植田実さんで、通称「植田スクール」とも呼ばれていた。編集者の学校でもあり、植田さんは結局100冊(プラス1冊)を刊行した。植田さんの下には常時3、4人の編集者がいて、午後から始まる編集会議のあとは、新宿西口にあった立ち飲み屋で先ほどまでなかなか決まらなかった案件が、ものの5分とかからないうちに結論がでる。あとは編集者のそれぞれの話に花が咲き、酒の肴となる。「編集は学校」なのである。
 もうひとつの「学校は本屋」である。最近は、「本屋は学校」であるといえる本屋が少なくなったが、いい本屋に行くと頭が下がる。自分が勉強していないこともさることながら、もっといい本をつくらなければという反省も込めてで、背筋がピンと伸びて新入生のような気持ちになれる。植田さんも幼少のころから本屋通いをして多くのことを学んだといっていたが、僕もその口だ。本をいかに整理するかは、自分の脳の中の知識や情報をどう整理するかと同じで、頭がいい本屋さんへ行くと素直な気持ちになるが、人に何かを伝える気持ちがなくただ本を並べているだけの本屋さんへ行くと腹が立つ。それは自分が探している本に早くたどりつけないという苛立ちもあって余計に腹が立つ。でも、それは自分が学校だと思える自分だけの本屋を探し、その本屋さんを大事にしていけばいいのではないだろうか。
おネエMANSに学ぶ
 女性よりも女らしいオカマや、日本人よりも日本人らしい外国人がいる。彼らに共通しているのは、ふたつの視点から見ているということだ。前者は男性と女性というふたつの視点、後者は外国人と日本人という視点、テレビに登場する彼らは、みな明るいお笑い系で、頭がよく、洞察力がある。おバカなクイズ番組全盛期にオカマのゴールデンタイム進出は当然であり、また日本語がうまく、日本の文化にも精通している外国人を見ると、逆の意味での欧米化かなどと考えてしまう。だが、彼らから学ぶべきことが多い。それはいろいろな意味でアイデンティティを喪失しているからでもある。
 ヴァーチャル・リアリティの技術が生活の中に入り込み、ゲームの世界のヴァーチャル・リアリティはより現実世界に近づきつつあり、アキバ系のオタク文化は別の価値観を生み出し、フィギアと現代アートの境界線が消え、日本のひとつの文化として世界的に評価されつつある。また、まんが喫茶の急増でゲームやコミック・アニメの世界に一日十数時間も入り込んでいると、実際に現実世界で生活しているよりも仮想現実の中にいる時間のほうが長くなり、ヴァーチャルな世界にしか興味がなくそこにしか自分の居場所を見いだせなくなっている。現実の世界に興味がないので、生活感がないというか、現実の世界で生きているという気魄が感じられない。記号論的に見れば、コスプレもそのひとつの現象であり、コミックのキャラクターに影響され、ファッションだけでなく、性格・考え方・生き方などすべてをコピーして生きている人が少なくない。
 また、日本のテレビドラマもそうで、コミックやアニメの焼き直し的なものが多く、これは制作側だけでなく、見る側にも問題があり、双方とも想像力が欠乏しているように思える。
 ヴァーチャル・リアリティは脳の問題でもあるが、人は夢を見続け、あるとき夢から覚めて現実の世界へ戻るのだが、現実の世界で生活している時間よりも、仮想現実の世界にどっぷり浸かっている時間が長いとどちらの世界へ戻っていいのかわからなくなる。今のゲームはいうなれば、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」のように自分が主役になって物語をつくることができる。脳はつねに刺激を求め、また仮想現実の世界に自分の居場所を見つけようとする。現実の世界に自分自身を引き戻すためにも、生活力のあるおネエMANSにマナーや家事全般の手ほどきを受け、日本人らしい(日本の文化の素晴らしを知っている)外国人に、喪失してしまった「日本人としてアイデンティティ」を補填してもらう必要があるのではないだろうか。
極道の妻より強い「斉藤さん」
あんなに強い斉藤さんのダンナの顔が見てみたい。

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