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僕の本(建築家と建てた「小さな家」)ができたよ
世界文化社「家庭画報」副編集長の工藤敬規さんが本誌の傍ら書籍の編集も担当され、お陰で、『建築家と建てた「小さな家」』(鈴木紀慶著)という本が出ます(2010年2月中旬発行予定)。建築家の中村好文さんが設計した「荻窪の家」の家づくりの顚末をまとめたものですが、その後の住み心地、家族のそれぞれの変化など、自分の体験を綴ったものです。建築家と家を建てたいと思っている方は、ぜひ参考にしていただければと思います。まずは、書店でお手にとって見てください。
「自分の家が欲しい! という強い気持ちはとくにありませんでしたが、ある日何を血迷ったか、建築家に自分の家の設計を依頼してしまいました。土地や資金など、まだ何のあてもなく、単なる思いつきだったのですが、“建築家と家を建てる”いう宣言をすることで、遠い夢で終わらせないために多分自分にプレッシャーをかけたのだと思います。ひとりの編集者の家づくりの物語はここからはじまりました」(本文より)
ニューヨークを歩く
 10月にニューヨークへ久しぶりに行き、一日だけオフがあったので、その日は朝からただひたすら歩くことにした。そういえば、この前にニューヨークに来たのはいつだっただろうか。3、4回は訪れていると思うがあまり記憶がない。覚えているのは、あの9.11のテロ以降訪れていないということだ。2001年以降、アメリカへ何回か来ているがどうしてもニューヨークへは足が向かなくなり、シカゴから日本へ帰るケースが多くなった。
 10月のニューヨークは肌寒く、歩くのにはちょうどいい季節だ。ホテルがレキシントン街、48丁目でマンハッタンのほぼ中間に位置していたので、まずは北上してクーパー・ヒューイット美術館があるアッパー・イースト・サイドまで歩き、今度は一気に南下してソーホーまで歩いた。9時に歩き始めて、時計を見たら16時、途中何回か休憩したが、6時間は歩いたことになる。ちょうどその日が火曜日で、美術館は休館日のところが多い。ソーホー近くにあるSANNAが設計したNew Museum of Contemporay Artも休館日で、外観だけ眺め、ドナルド・ジャッドのスプリング通り101番地にある建物を探した。見つけることはできたが現在改装中らしく、足場がかかっていた。なかを覗き込むと、ジャッドの作品が壁に取り付けられていた。アメリカ版のガイドブックにはDonald Judd Exhibition Spaceとなっていたが、リニューアルされるのだろうか。ジャッドがリノベーションした建物を見たかったのだが、時計も17時を回り、僕自身の電池も切れそうなので諦めて戻ることにした。
 そこから、かつてツイン・タワーが建っていた金融街まで歩く体力も気力も残っていなかった。タクシーをつかまえてホテルへ。さすがに持って来なかったが、出発前にいろいろと調べていたとき、1996年度版のミシュランのニューヨーク・ガイドブックがあり、そこには当然のことながらツイン・タワーがあり、ニューヨークを象徴する建物として紹介されている。2001年のテロで、「1Q84」のように歴史が大きくねじ曲がってしまい、ツイン・タワーが今もある世界とツイン・タワーがない世界の歴史が同時進行しているような、現実世界にいたわれわれがフィクションの世界に入り込んでしまったような不思議な感覚にとらわれた。
 街を歩くという行為を通して、自分がいる世界がどちらなのかを探ろうとしているのか、そこからしかリアルなものを体験できなくなっているような気がするのは僕だけなのだろうか。どうやら、村上ワールドへ入り込んでしまったらしい。それは、今回旅行中に読む本として村上春樹の「1Q84」を選んでしまったからだと思うが、(僕は60年代のニューヨークに強く惹かれ、足が自然にニューヨークへ向いていたが、今はその引力から解放され)ニューヨークにいるのに、どうもそこがニューヨークであることを自分自身で実感できなかった。
 多く人たちが、心の中にツイン・タワー状の空洞ができ、それを埋めるためにもがき苦しんできたように思う。現実の世界がCG画像のようになって崩壊していく姿は見たくない。この心の傷が癒されるためには、まだ何年もかかりそうだ。次回は、勇気をだしてWTC跡地(グランドゼロ)を訪ねてみようと思っている。
「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」
昨日は最終日で、駆け込み寺になってしまったが、世田谷文学館で「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」展を見た。堀内さんの才能、それはデザイナー、アートディレクターとしての才能はさることながら、イラスト、レタリング、写真、編集、執筆、翻訳までもこなし、それが瞬時に彼の頭の中でディレクションされ、彼の手を伝わって紙に描かれる。コンピュータがある時代であれば容易いと思われることが、ない時代にあってはその作業量は膨大で、それらの原稿をレイアウトすることの難しさは並大抵のことではないが、堀内さんは労力をおしまず、むしろそれを面白がってやっているように思えた。とくに、地図好きで、あの細かさ、情報量の多さ、それと読者を楽しませるサービス精神というか、エンターテイメントを心得た地図づくりには脱帽で、(僕も地図好きですが、それは見て楽しむ、マップリーディングのほうで)、見終わった後は楽しくなり、自分も雑誌や本の編集という同じ世界の仕事にかかわっていることを嬉しく、また誇りに思った。とにかくこのような素晴らしい展覧会を最終日とはいえ、鑑賞できたこと、このような企画展を開催された関係者の方々に感謝。また、会場で若い方の姿を見ることができたのも嬉しかった。
『水源』と『肩をすくめるアトラス』を読んで
アイン・ランドの著書、『水源(The Fountainhead)』と『肩をすくめるアトラス(Atlas Shrugged)』を読んだ。どちらもA5判で2段組、1000ページを超える大著で、かなりの時間を要した。が、読み応えがあり面白かった。前者は1943年、後者は1957年にアメリカで発行され、すでにベストセラーになっている。また、前者は1949年にゲーリー・クーパーとパトリシア・ニール主演で映画化(邦題は「摩天楼」)されている。この映画を見たいと思って、ツタヤへ行ったが、DVDもビデオもなかった。長いストーリーをどのように映画では編集して、僕が思い描いている小説の中の主人公、建築家のハワード・ロークのキャラクターと名優クーパーが演じているキャラクターとのギャップがどのくらいあるのか見てみたいと思ったのだが。
『水源』は、フランク・ロイド・ライトがモデルになっていると翻訳者の解説にはあったが、その作風は(ライトの作品はモダンの中に位置するが、ライト独特の装飾があり、日本建築のよさも取り入れているので)むしろミース・ファン・デル・ローエであり、彼の頑なな生き方はルイス・カーンに通じるものがある。
『肩をすくめるアトラス』は共産主義的な思想が入り込み、やがて鉄道や製鉄が衰退していく様子が描かれている。鉄道マニアには、たまらないのではないかと思えるくらい、よく取材している。前者の『水源』もアメリカの建築業界(建築教育や当時活躍している建築家など)を取材して丹念に描かれたいたが、翻訳するときに専門用語の訳に多少難点があったように思える。ストーリー展開していくテンポや登場人物が裁判やラジオなどで演説するときの訳は、両者とも的確で読みやすかった。以前友人に「多少和訳に難があるけど面白いから、『水源』を読んでみたら」と(飲んでいた席で)紹介したら、その友人は和訳本には手を出さず、原書(英語版)で読んだと聞かされ驚いた。
ランドの思想は反共産思想で、個人の能力を正当に評価する資本主義社会を支持するもので当初はアメリカの保守派の人たちに受け入れられたが、彼女がユダヤ系ロシア人で宗教を否定したために、文学界、政界においては異端扱いされたようだ。しかし、どちらの作品も描かれている時代は、世界大恐慌後の1930年代であり、アメリカが一番落ち込んだ時代で、現代(2009〜年)に似ている。その時代に、創造力と強い意志を持った人たちがいて、彼らがアメリカが最も輝いていた時代(1960年代)をつくったのではないだろうか。アイン・ランドに嵌った人をラディアンというらしいが、2冊を立て続けに読んでしまった僕もラディアンなのだろう。村上春樹の『1Q84』が今話題になり、1980年代に関心が高まっているが、この不況を脱出する手がかりは、1930年代にあるように思えてならないのだが。
ハナが帰ってきた
 うちの2匹の姉妹猫、ハナとレンもお陰様で3歳になった。ところが、ある日散歩に出かけたまま一匹が帰ってこなかった。遠くまで行ったのか、近所にご贔屓さんがいて話し込んで(じゃれて)いるうちに、居心地がよくそのままそこに居着いてしまったのか?それとも世渡りがうまく、名前が7つくらいあって、毎日訪問先の家を変えて、そこの家に行くと特別待遇でちやほやされているのか?猫掠いさらわれてしまったのか?事故にでもあって怪我をしているのか?クルマに轢かれてしまったのか?想像すると切りがない。
 まずは、刑事のように自分の足で近所を廻って捜し、さらにハナの写真も持って虱潰しに近隣の家を一軒一軒訪ねて廻ったが、手がかりは無かった。そこで、インターネットで迷い猫を検索、迷い猫がずいぶんいるものだなと一頻り感心する。次に、保健所、動物愛護協会、警察、最後は(動物愛護協会の担当の方に清掃局にも一応電話するようにと言われ)、さすがに清掃局に電話して、「杉並の○○辺りで最近猫の死骸を処理した記録はありますか?」と訊ねるのは辛かった。ハナがいなくなって1週間、諦めムードが濃厚になり、それまでいろいろと考え悪いケースばかり想像してきたが、開き直り、どうせあのわがままなハナのことだから猫好きのお金待ちのお爺さんかお婆さんの家にでも拾われ、今頃幸せに暮らしているよ、と思うようにした。
 そして、10日目の夜中、長女が深夜に帰宅したとき、どこか遠くで猫の鳴き声がした。長女がテラスに面した階段を上がろうとしたとき、か細い声で鳴くハナを見つけ、ガラス戸をサッと開けたら、活きよいよく入ってきた。いつもはガラス戸を開けても、まだ外で遊び足りないのか、入ることを一瞬躊躇するのだが、さすがに10日間の外出はきつかったようだ。体重は半分くらいになっていて、顔や前足、後ろ足は真っ黒で、完全に野良猫になっていた。翌朝風呂に入れ、すぐに虫下しと首輪を買いに行った。ハナがいなくなって、いろいろなところへ電話したときに猫の特徴と一緒に必ず「首輪をしていますか?」と訊かれた。その度に、「首輪は付けていません。すみません」と答えた。猫にとっての10日間は、人間の時間で換算すると約1ヵ月。相方のレンも心配していたとみえて、ハナを見ると「ウウウー」と威嚇して(怒って)いる。今はとにかくハナをそっとしておいて、体力が回復し、傷心が癒えたら、長い旅の話をゆっくり聞こうと思っている。

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